コロナ明けでようやく再会できると思ったのに
昨日は体育委員の仕事の校区大会で朝6時起き(私には深夜)で、夕方まで働きヘロヘロのまろぱぱです。
この話はまた明日書きますが、その大会の最中にLINEで飛び込んできたのが、私の中学校の時のバンドボール部の顧問だった恩師の訃報。
思わずその訃報にえ?!まじか!と声が出てしまいました。
私の中学校のバンドボール部は入部したときは本当に弱小で、よく他の部からもバカにされていました。
市内大会3校中万年3位(-_-;)
そしてその市内大会優勝校とて県では上位というわけでもなく中堅校レベルでした。
そこに手も足もでないうちは弱小以外何者でもなく・・・
しかしバンドボール未経験ながら私たちの入部と同時に顧問になったその恩師は、対外試合を増やし、新しいことを取り入れたりといろいろ精力的に取り組んで頂き、我々の代が主軸になる頃には市内大会は無敵。
県の地区大会も新人戦は優勝で県でも準優勝の強豪校にまでなって、最終的には最後の県大会は優勝して関東大会まで行くことができました。
まあ、ださい名前入り中学校ジャージで東京を歩かされたのは苦い思い出ですが(笑)
その後もその顧問の元、後輩たちも優勝を続け強豪校として定着。
異動か何かで後任(隣の中学校のハンド部の先輩)に顧問を譲ったあとも、更に強くなり全国制覇も達成し名実ともにバンドボールの全国的な強豪校にまでなった母校の後輩たち。
その基礎を作ったと言っても過言ではない私たちのその顧問の先生はスクールウォーズに感化されるようなただただ熱い先生でした。
もちろん当時はやや疎ましくも思いましたが大人となった今振り返ると、本当にありがたかったな~という思いしかありません。
しかし中学校を卒業して新しい交遊関係を築いていく中で中学校の同窓生や先生とはだんだん疎遠になり、更に実家も私も茨城を離れてしまい連絡も取れない状況となってしまいました。
そんな中で、SNS上で幼稚園から同じ幼なじみで中学校の部活の同級生と繋がり、同窓会に呼んでもらい約30年ぶりに再会を果たしたのが下の写真。2015年のことでした。
真ん中にいるのがリョータでその左に居るのが先生です。
先生にしたらリョータは孫みたいなものだったかもしれませんね。
それまでなんとなく地元には近寄りがたくて、小中学校の同窓会には一度も出たことがなく、故郷は捨てたような状況の私でしたが、中学校のハンド部の同窓生は昔と変わらずとても温かくて面白くて、何で今までこんな素晴らしい関係をおろそかにしてたんだろうと猛省。
以降、コロナが始まるまで毎年顔を出すようになり、それを口実に家族も巻き込んで茨城県、関東圏旅行に行くようになりました。
しかしそれもコロナで中断し今に至るのですが、今年はいよいよ同窓会を再開できるかと思った矢先の今回の訃報。
亡き先生を偲ぶ会となってしまいそうです。
今年は絶対に茨城に帰ってお墓参りに行こうと思います。
本当に残念です。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。