思い出の地、ゆかりの地が次々に消えていく

私がかつてお世話になったゆかりのある場所が次々と無くなっていってなんだか思い出が消えていくようで少し寂しいまろぱぱです。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」は高校の頃、覚えさせられた平家物語の書き出しで、ザクっと言うといつまでも同じ状態のものなどないということですが、昨今色々あってしみじみとこの諸行無常を痛感しております。

平家物語の書き出し
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

【現代語訳】
祇園精舎の鐘の音には、諸行無常(=全ての現象は刻々に変化して同じ状態ではないこと)を示す響きがある。
(釈迦入滅の時、枯れて白くなったという)沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。
権勢を誇っている人も長くは続かない、まるで春の夜のゆめのよう(にはかないもの)である。
勇ましく猛々しい者も結局は滅んでしまう、全く風の前の塵と同じである。

まあ50年以上生きていれば、無くなっていくものも多いですよね・・・

さいわい幼稚園、小学校、中学校、高校、大学はとりあえずすべて今のところ健在ですが、いつまでもあると思うな思い出の地です。

ということで、私のゆかりの地でもう無くなってしまった場所を、私が関わった年代が古い順に振り返ります。

私が高校の頃、部活終わりに関東鉄道の列車の時間を待つ間、皆でたむろしていた高校の門の横にあった駄菓子屋がまさかの更地に。

お店の正式名称は結局分からずじまいでしたが、お店のお父さんがいつも「すいません、すいません」ばかり言うのでうちの高校では通称「スイマー」に。

私は陸上部でしたが、ラグビー部、サッカー部、テニス部、弓道部(野球部はもっと遅くまでやっていたのであまり会わず)とかの連中とよくたむろしてましたね。

なんせ良くて30分に1本、下手すると1時間に1本のローカル電車ですので乗り過ごすと待ってる時間が長くて暇で暇で(笑)

それがこんなになって・・・今の後輩たちはどこでたむろしてるんだろう!?

続いて、高校を卒業して受験に失敗し、浪人時代に通った駿台予備校四ツ谷校

もちろん駿台予備校自体はまだ健在ですが、私の通っていた四ツ谷校は2008年に閉校になったようです。

スマホもガラケーもなかった時代で写真なんて全くありませんが、人生最初で最後の東京通いでした。
総武線から中央線で通ってましたが、通勤通学ラッシュの満員電車も今となっては懐かしい思い出ですね~

予備校の近くに美味しいたい焼き屋さん「たいやき わかば」さんがあってたまに買いに行ってましたね。

続いてはその駿台予備校生時代にお世話になった駿台予備校の下総中山学生寮。

結構歴史ある寮だったのですが、4人部屋とかが主体で時代の流れに合わずに廃寮にしたのかなと。
あの朝の羽鳥さんのニュース番組のコメンテーターの玉川徹さんも出身だとか。

4人部屋は互い違いの2段ベッドでウナギの寝床でしたね。

そして外観写真がないかと検索してみたらこの中山学生寮を作った会社のHPに写真がありました!!

上空から見た在りし日の駿台中山学生寮

1階だったのは覚えているんですが、どっち側だったかな~?

上の室内写真の窓からは何となくバスケットコートらしきものが見えてる気がするので左側の赤い屋根の建屋だったかな~?

だとするとこの棟になるんだけど、こんなところ出入りしたっけな~??

こちらは食堂側かな?

さすがに35年も前のことまでは覚えてないな~

そして無事に大学に受かり入った学生宿舎は改修はされているけど今も健在。

アパートも健在でした。

って、もう築何年!?
家賃は当時3万円台で8畳エアコン付きのなかなか快適なアパートでした♪

そして次に無くなったのは就職して新人研修で3カ月くらい入寮していた尼崎の園田にあったコニカミノルタ園田寮
社内の広報とかに出ることもなくいつの間にか住宅地になっておりました。

たった3カ月だったし研修期間だったしで、カメラ会社に就職したのになぜか今ほど撮影意欲もなく、記録が全くと言っていいほど残っておりません。

今みたいにスマホで簡単に残せてたら多少は寮の写真もあったんでしょうが、フィルムカメラからようやくデジカメが出始めたころだったのでもちろんそんな高価なものは持っておらずでした。

せめて銀塩写真でも良いから撮っておけば良かったなと今になって思います。

そしてこの記事を書くきっかけとなったのが最近発表された、新人で愛知に配属されてから3年くらい入寮していた豊川市にある大宝山寮の廃寮。

その記事がこちら

社員寮「大宝山寮」閉寮のお知らせ

コニカミノルタ株式会社(本社:東京都千代田区、社長:大幸 利充、以下 コニカミノルタ)は、愛知県豊川市の社員寮「大宝山寮」を閉寮し、その借地を所有者に返却することを決定しましたので、お知らせいたします。

コニカミノルタは中期経営計画において、等身大の経営と高収益企業への回帰を基本方針に、財務基盤強化を実行課題としています。この度の決定はその課題に資するものです。

「大宝山寮」は、1983年にミノルタカメラ株式会社の独身寮として開設し、以来、40年あまりに渡り東海地区の社員寮として使用してまいりました。施設の老朽化に伴うメンテナンス費など、維持コストの増大による資産効率の低下を鑑み、閉寮し借地を返却することにいたしました。

施設の概要

名称大宝山寮
所在地愛知県豊川市八幡町大宝山10番176
借地面積20,876m2
https://www.konicaminolta.com/jp-ja/newsroom/2024/0823-01-01.html

こちらの寮は愛知県豊川地区に配属される新人のほとんどが入る寮で、標準語に関西弁から九州地方の方言まで飛び交うなかなかにぎやかな寮でした。

規則もゆるくて門限なんか無し!

一応男子寮だったので女人禁制でしたが、ばれないようにやりなさいと(笑)

会社の長期連休になると、どっか遊びに行ってこい!と言わんばかりに食堂も風呂もなくなった本意は今となってはもう謎。

でも、年末の休みに入った直後にインフルエンザにかかって高熱を出して風呂も食堂も止まってこのままでは死ぬと思い当時両親が住んでいた大阪まで無理矢理運転して帰ったのは良い思い出。

あとインプレッサを買ったときに寮の駐車場でみんなの車と一緒に試乗会をやったのも懐かしい。
もちろんゆっくり走行ですよ。

セリカとかプレリュードとか、ランエボとか、エクリプスにも乗ったな~(みんな平成の車!笑)

そしてまだこの頃はデジカメもなかったしガラケーにカメラも付いてない時代だったので例によって写真は無し(-_-;)
大学生の頃から社会人になった後の数年間は本当に写真が少ない。

仕方がないのでGoogleマップさんより拝借

この建物の3階に入寮してました。

下の幼稚園の前からようやく会社のロゴが見えました(姫街道の名鉄の陸橋からも見えるけど陸橋に乗れず)。

本当にボケっとしているとどんどんいろんなものが消えていってしまいますね。
残っていて欲しいと思っても無理なんでしょうかね~
変わることが良しとされている時代ですから・・・

本日定年退職されて最終出社日を迎えた方や、その他のことから色々感傷的になった週末でしたとさ。
そんな時は川で遊びたかったな~

「後ろに進んじゃいけないのか、たまには・・・・猛スピードで後ろに向かって逆戻り。ビルとテッドみたいに。」
映画『レディプレーヤー1』で最初のカギを手にするためのヒントとなった、オアシス創始者ハリデイの言葉でした。

にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です