父の形見~究極のアウトドアグッズ?
先週の弾丸山口帰省の往復に、運転中にDVDが見られるようになったマークXで『グレイテストショーマン』とか『シンドラーのリスト』なんかを見ながら移動していたのですが、やっぱりこういうドラマチックな映画は大画面でじっくり見たいものだと思ったまろぱぱです。
でも、音響が良いので『グレイテストショーマン』は音楽が良いのでとても良いBGMにはなりましたが、画面が小さくて登場人物の表情がよく見えず・・・でも、とっても良いミュージアム映画です。
久しぶりに見た『シンドラーのリスト』は、ラストはやっぱり泣きましたが、あまりの描写の生々しさに小学生に見せて良いものかと思ってしまいましたね。
幸い皆、ゲームをやっていたりスマホを見ていて真剣には見てませんでしたが、ところどころユダヤ人に対する迫害のひどさに引き込まれて見てました。
本当に戦争はあそこまで人を狂わせてしまうのか・・・そしてそんなひどい迫害をうけたユダヤ人の国のイスラエルが同じことを繰り返すと。
いや、あの歴史があるからこそ、またあのようになってしまうのではという恐怖心から今の行動になっているのかも。
負の連鎖…歴史は複雑で誰が正義で誰が悪だとは言えませんが、どんな理由であれ戦争が絶対悪なのは間違いありませんね。
子供たちがもう少し大人になったら『シンドラーのリスト』をじっくり大画面で見せてやりましょう。
ということで、7月に亡くなった父ですが亡くなる直前にとても気にしていたことがありました。
それがこちら
日本刀です(^^;)
究極のアウトドアグッズでしょう!?(笑)
数年前に実家のどこかから出てきたそうで、見せてもらったときには慌てました。
その後、そのまま持っていたら銃刀法違反になってしまうので、父が警察に届け出をして、その後山口県に日本刀としての価値の鑑定してもらい、無事に日本刀として登録することができたそうです。
ちゃんと登録証も見つかりました。
一応、先の大戦中の陸軍とかに配備されていた刀剣類は日本刀として登録できないそうなので、江戸時代以前の武士が持っていたものということになります。
しかしそんな物騒なものがなぜ我が家のリビングに鎮座しているかというと、父が無くなる数カ月前に刀を砥ぎ師のもとに研磨に出していたから。
結構錆びていたようで、それをちゃんと刃物として復活させるべく砥ぎ師に依頼して砥いでもらっていたのですが、日本刀なので結構時間が掛るらしく父が入院する頃になっても届かないと。
自分はもう受け取れそうもないので、砥ぎ師に連絡して砥ぎ終わったら私が受け取ってくれと。
それが遺言になってしまいました(もちろん他にも色々遺言はあります)。
で、父のメールのやり取りを見返してそのメールを発見。
その方に父が依頼していた刀を父が受け取れないので私の自宅に送るよう依頼していたのですが、父が亡くなってから1週間程してようやくそれが我が家に到着。
開封してみると怖いくらいに光り輝く日本刀が出てきました。
刃渡り42cmのいわゆる脇差というやつですが、脇差でも本物の刀は迫力があります(-_-;)
山口県で登録しているので、このまま私が所持していると違法なので、慌てて所有者の変更手続き書類を山口県に送付して無事所有者の変更が完了。
ちなみに刀の銘はこんな物。
これが「国宗」なら超有名な鎌倉時代後期に活躍した名刀工なのですが、国の文字が怪しいのでたぶん贋作かと。
しかしなぜこんな刀が代々農家の我が家にあったかというと、戦時中か戦後の食糧難の頃に、農家で食べ物だけは比較的余裕のあった祖父母のところに食べ物を分けてもらいに来た人が物々交換で置いていったものではないかということ。
そして父がこの刀の復活にこだわったのは、父は子供のころこの刀で、庭にあった柿の木の枝を落として柿を取って食べたりしていた思い出の品だからではないかと。
まあ余裕があると言っても7人兄弟で下から2番目でしたからね。
兄弟間の競争が激しく腹いっぱいに食べるというわけには行かなかったようです。
そんな父の唯一の妹の叔母が教えてくれました。
なるほど父らしい。
しかしそんな思い出話をできる人も叔母と他は、父の姉の伯母を2人残すのみ。
2人いた父の兄たちと長女の伯母はもうすでに他界。
夏休みになるとよく今の山口の実家に皆が集まって大勢の従弟がそろってそれはそれは賑やかだった私の小学生時代。
本当に懐かしいですが、そんな集まりも祖父母が亡くなるとほとんど無くなってしまって久しいです。
そしてその家を継いだ私の父まで亡くなってしまったらそのわずかな繋がりも見えなくなって、もうみんなで集まることはないかもしれません。
やっぱり寂しいものですね・・・
さて、これからどうなるのかな~
大きい相続関連の手続きはあと3つ。
早く終わらせてすっきりしましょう。
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