父の四十九日法要でした

只今の自宅に帰りついてほっと一息ついてブログを書いていまろぱぱです。

この週末は今年何度目かの弾丸山口帰省。

タイトルの法要のため山口までやって来ました。

四十九日法要ということで、ここでは書いていませんでしたが、先々月、私の父が、癌のため亡くなりました。
山口の実家近くでログハウスを作りかけていたあの父です。

享年80歳。

まだまだ元気で90歳くらいまで生きるものだと思っていたのに突然すぎる別れでした。

ここのところの意味不明なテンションの低いエントリーはそのためです。

何となく四十九日までは書かない方が良いような気がしていたので、遅くなりましたがここへ来てのご報告になります。

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遡ることゴールデンウィーク前の4月末、父が体調を崩し検査入院したと。

そしてその検査結果は予想を超えて悪くて、大腸やその他にも広がった複数の癌で、ステージは末期だと。
直接担当医から連絡がありもって半年だろうと。

何となく今年の正月帰省した辺りからやたらとトイレに行くからおかしいなとは思っていて、もしかしたら癌かもとは思っていましたが、ここまで悪化しているとは。

もう年なので手術はできないし、延命は不要という父の強い希望で抗がん剤等の治療は一切無し。

すぐに退院し、しばらく自宅で療養を続けていたようなのですが、先々月の7月になって容態が悪化。

緩和ケア病棟に入院してなんとかお盆くらいまでは頑張ると言っていたのですが、海の日三連休の前に連絡したら、もうお盆まで持たないかもという本人の言葉に急遽、海の日3連休に皆で山口まで帰省したのでした。

何とか話はできたのですが、すっかり体は衰弱しきっていて歩くことも難しく、話をするのも苦労するような状態でしたが、まだ意識はしっかりしていたので一旦休みの最終日に帰宅。

その時は必要なことは聞けたので後は妹の家族も含めて皆で集まれるお盆まで持ってくれればという感じでしたが…
それが結果的に実際に会っての最後の会話になってしまいました。

しかし気が抜けたのか、その週末の金曜日に緩和ケア病棟の看護師さんよりいつ朝目覚めなくてもおかしくない状態だと告げられ、そして翌々日の7月21日の日曜日の朝に連絡が来て父が息をしていないと・・・

そこから慌てて山口へ移動。

山口の近くに住んでいる叔母さんに死亡の確認などを行ってもらい、遅れて到着し深夜に父のなきがらと対面。

すっかり痩せこけてしまっていて別人の様でした。

それから喪主として色々叔母や従兄弟に手伝ってもらいながら、何とか通夜と葬儀を済ませました。

その時載せたこの花は通夜の時に飾られていた花でした。

家族だけでこじんまりと行った割には豪勢な式場でしたが、喪主は本当に色々大変で、母も頼りにできないので、葬儀が終了した後も、仕事の奥さん、リョータは新幹線で帰宅してもらい、夏休み中のシオリとソースケだけ一緒に残って、1週間の忌引休暇を取っていた私が諸々の手続きを一人で実施。

なので役所が終わる17時以降には、こんなところをうろうろしたりしてたんですね。

上関温泉とかへも行きました。

しかし、遠方の家族の印鑑証明などが必要だったりして、その期間でも終わらずに、更にこの夏休みは北海道ではなく、皆で山口にやって来て残りの手続きに奔走しました。

市役所に、銀行に、年金に、携帯契約解除に、電気会社、カード会社に・・・

はっきり言って家は掃除はしてますが維持がやっと。
遺品の整理などは全くできていません。
まあ、まだ母がいるというのもありますが、色々片付けなければいけないことがその他にも山積み。

ただ今年のお盆は、実はまだ四十九日を迎えてないので初盆ではなく5七日のみの法要。

そしてこの週末は7七日の四十九日法要ということで、6日が正式な四十九日だったのですが、金曜日に山口で四十九日法要を行うのが難しかったので1日だけずらして実施しました。

実は私は四十九日法要というものは初めてでその意味も知らなかったのですが、お坊さんが何度も丁寧に説明してくれるのでようやくその意味を理解できました。

ざっくり言うと生まれた時から1年で発生する108×生きた年数分の煩悩が、死んだ後にすべてなくなりようやくあの世で生まれ変われるのが四十九日だと。

ちなみにお坊さんは実家近くのお寺さんなのですが、叔母の同級生で父をはじめ他の伯父伯母も祖父母もよく知った方。

ファーストネームにちゃん付けで呼び合うような大変近しい間柄で、昔話になると色々面白い話を聞けて少しだけ寂しい気持ちがまぎれました。

もちろん祖父母も伯父の葬儀の時もお世話になっているのですが、結構身近な人が次々に無くなっていくのを見取り続けるのもなかなか因果な商売だな~と思わずにはいられませんでした。

そしてまだ骨壺が残る仏壇で、最後のお経を詠んでもらったら、皆で実家の裏山にある我が家のお墓に骨壺をもって移動。

ここで初めてお墓の仕組みを理解することになりました。

お墓の正面の家紋の入った水鉢が実は動かすことができて、これをずらすと納骨室が現れるのです。

ここにはたぶん祖父母と伯父の骨壺が安置されていましたが、これらを少しずらして祖父母の真ん中に来るように父の骨壺を安置。

水鉢を元の場所に戻して線香を焚いて皆で手を合わせて納骨は終了。

これで四十九日法要は終了。

墓石は驚くほど密閉性が高くすき間がないように見えてまさかここが動かせるようになっていたとは思いませんでした。

墓石って本当に精密に作られているんですね。

この後、実家に戻ってお茶菓子を頂きながら叔父叔母や従弟と昔話や家族の話などをして皆が帰宅したら、父の葬儀関連の行事は一区切り。

次は、来年7月の1周忌と、夏休みには初盆法要があるので、また来年も北海道には行けそうもありません。

まあ、こればっかりは仕方がありませんね。

それにしてもこれまですべて車で移動しているのですが、今年に入って5往復していることになります。
延べ走行距離は6000kmを軽く超えてます。

もう少し山口が近かったらな・・・

そして葬式の前後はドタバタしていて悲しむ暇もなかったので、それほどダメージは無かったのですが、少し落ち着いて、色々整理していくうちに父のメールとか、パソコンの中の写真とかを見られるようになって、本当に孫と接するのが楽しくて仕方がなかった様子が明らかに。

妹の子供たちともとても楽しそうに出かけたりしていて、うちの子も含めて孫の画像をパソコンに大切に取ってあって本当に孫の成長を楽しみにしていたのがよく分かりました。

それを改めて見せつけられてなんだかとても切ない気持ちになりました。
正月以外ももう少し子供たちを連れて遊びに行けばよかったな~と。

それにあともう少し昔話とか父自身の事とかを色々と聞いておけば良かったなというのが本当に心残りです。
もはや今となってはそれはとても無理なのですが・・・

何かを思い出して、あれはどういうことだったのか後で聞こうと思ってももはやそれは絶対に叶わない。

誰かタイムマシンを発明してくれないかな~・・・

ということで、しばらくは時々湿っぽい話をするかと思いますが、ご容赦願います。

そして両親がご健在の方はなるべく元気なうちに沢山話をされることを強くお勧めします。

本当にその時は突然やってきますから。

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父の四十九日法要でした” に対して2件のコメントがあります。

  1. より:

    久しぶりに書き込ませていただきます。
    しばらく前からのエントリーでもしかしたら・・・とは思っておりました。
    お父様のご冥福をお祈りいたします。
    私の父も同じ年です。
    癌に心筋梗塞もやりましたが、それでもまだ元気に過ごしてくれていて
    ありがたいなと。
    中学生になった孫(うちの小僧)とキャッチボールをすることもあるようです。
    いつまでも変わらないでいてくれるような気がしてしまいますが、
    私もいずれ、同じ経験をしなければならないんだよなと思います。

    1. まろぱぱ より:

      こんばんは、凸さん。
      少しご無沙汰しております。
      凸さんのお父さんも同じお年ですか。
      本当にかぶりますね。
      色々病気はされているけど元気そうで何よりです。
      お父さんはお近くに住んでいるのかな?
      うちももう少し近くにいてちょっとした変化に気づければ状況は変わったかもしれないのですが・・・
      何はともあれ頑張って親孝行してくださいな。

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