春の花火

風邪をひいてしまったようで金曜日の夜から頭痛と喉のイガイガと咳とくしゃみがあり、37℃くらいの微熱も出たので土曜日の低山登山は断念したまろぱぱです。

桜まだ咲いているうちに上ってみたかったんですけどね~・・・

その土曜日は雨上がりの気持ちの良い晴れの天気でしたが、結局昼間はどこにも行かず1日中安静にして寝ておりました。

夜になって風邪薬の効果も出たのか症状も収まったのと、家族が皆で名探偵コナンの映画を見に行ってしまったので、一人夜散歩へ。

ちょっと家電量販店で現物を確認したいものがあったので散歩ついでに歩いて行ったのですが出発したタイミングでこんな物に出会えました♪

菟足うたり神社の風まつりの花火です。

3年前の2023年に痔ろうの手術で総合青山病院に入院していた時にちょうどこの祭りが開催されていて病室の特等席から観覧したあの花火です。

病院で花火を特等席観覧

入院生活8日目で、ようやく同室の方と仲良くなれたまろぱぱです。 実際には昨日話をするようになったので入院生活8日目で、ですけどね。 意外と人見知りなんです、こう見…

あれからもう3年も経つのか~(  ̄ - ̄)トオイメ

今ではもうすっかり痔ろうも回復し再発する様子も今のところありません。
もっと早く手術しておけば色々楽だったのに・・・

そして現在に戻って、花火が上がっている方向は、私が向かっている家電量販店の方向

目の前に打ちあがる花火を眺めながら歩きました♪

手持ちのスマホでもきれいに撮れるものです。

本当にこの辺りは花火が大好きです。

これだけこの地方で花火が盛んな理由は?

三河地方で花火が盛んな最大の理由は、江戸時代に徳川幕府から「火薬の製造・貯蔵」を国内で唯一、特別に許可されていたという歴史的背景にあります。

主な理由は以下の通りです。

  • 徳川家康との深い縁: 三河は家康の生誕地であり、幕府にとって極めて信頼のおける土地でした。江戸幕府は軍事機密である火薬の管理を厳しく制限していましたが、三河の「三河譜代」の家臣たちにのみ、その扱いを許しました。
  • 鉄砲隊の本拠地: 三河には徳川直属の火薬製造所があり、鉄砲隊が拠点としていました。平和な世の中になると、鉄砲の技術(火薬術)が観賞用の花火へと転用され、独自の発展を遂げました。
  • 神事としての継承: 豊橋市の吉田神社が発祥とされる「手筒花火」のように、花火が神社の奉納行事として地域に深く根付いたことも、現在まで盛んに続く大きな要因です。
  • 流派の誕生: 稲富流や池田流といった花火の流派が三河で誕生し、技術が磨かれたことで「三河花火」の名が全国に知れ渡るようになりました。

近づくにつれて花火の上がるタイミングと音のずれも小さくなって迫力も増していきます。

夏の花火も良いですが、涼しくて虫もいないこの時期の花火もまた良きかなです。

地面に届くんじゃないかと思うほど尾を引く花火

まるでエディオンから打ちあがっているかのように見える打ち上げ花火

尺玉だと思われる大きな花火も上がります。

いつもこんな寂しい田んぼ道を歩いているのですが、この日ばかりは華やかでしたね♪

動画も撮影してみたのでご覧あれ

ちょっと上の大玉を追うか下のスターマインを追うか迷いが(^^;)

こうして花火を見ながら家電量販店に到着したら目的の物を確認して、家電量販店周辺のショッピングモールをうろうろしたのちに帰宅。

帰りにはこんなシンメトリーなマンションを発見

部屋の灯りの点き方が左右対称(笑)

さて、今日も良い天気だし、町内の神社の掃除も終わったし風邪も少しマシになったし何しようかな~

にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です