北海道の鉄道の興亡が分かる動画が刺さる

北海道ロスがひどくて新たな楽しみを見つける気力が沸かないまろぱぱです。
夏の終わりが近づいてきている雰囲気は悪くないんですけどね~
もう一つ二つ夏のイベントがあればな~今週末はキャンプがあるのでまずは一つ・・・
でもこれも終わってしまうと夏の楽しいイベントはあらかた終わってしまい夏ロスまで追加されるとかちょっと考えられません。
救いは今期は当たりの作品が多い深夜のアニメたち。
しかしそれもだいぶ後半戦に差し掛かってきておりそれが終わったら本格的な色々ロス症候群になりそう。
ということで、何となくネットでSNSサーフィンしていると、北海道関連にばかり食いつくからか突如飛び込んできたのがこちらのYouTube動画
国鉄民営化以降の北海道の廃線の衰退具合とかを示した動画か~?と見始めたところ、なんと始まりは1880年。
そうです、北海道の鉄道の歴史を全て北海道の軌跡のみで表そうという斬新な試みだったのです。
1880年と言えばまだ日ロ戦争も起こっていないゴールデンカムイ以前の時代。
そこから鉄道の歴史は始まったのですが、この年の主な出来事はこちら
- 手宮〜札幌間に鉄道が開通
11月に、北海道で初めての鉄道である「官営幌内鉄道」の手宮(小樽)〜札幌間が開通しました。石炭や海産物の輸送、開拓のスピードアップに大きく貢献しました。 [1, 2, 3]- 「豊平館(ほうへいかん)」の建設
札幌の大通(現在の国営中島公園内に移転)に、開拓使が建てた高級洋風ホテル「豊平館」が竣工しました。翌年には明治天皇の宿泊所(行在所)としても使われました。 [1, 2]- 歴史的な「大蝗害(だいこうがい)」の発生
前年に十勝地方で大発生したトノサマバッタの群れが日高山脈を越え、胆振や石狩地方にまで押し寄せました。農作物が壊滅的な被害を受け、これがきっかけで十勝原野の本格的な調査が始まることになりました。 [1]- 民間による本格的な「開拓会社」の結成
神戸で鈴木清らが北海道開拓会社「赤心社(せきしんしゃ)」を結成しました。のちに現在の浦河町へ入植し、民間主導の重要な開拓モデルとなりました。 [1]当時の北海道は、ロシアへの防備と天然資源の開発を目的に設置された政府機関「開拓使」のもと、全国から集まった屯田兵や移住者によって急速に開発が進められていた時代です。

ここも深名線の廃線跡だったな~
そしてここ道の駅おこっぺも、名寄本線(なよろほんせん)興部駅(おこっぺえき)の跡地でした。

名寄駅(名寄市)と遠軽駅(遠軽町)を結んでいた本線で、JRの「本線」と名のつく路線が全線廃止された全国で唯一の例だそうです。
更にオホーツク海沿いの道の駅おうむも、1985年(昭和60年)に廃止された国鉄興浜南線の終点「雄武駅」の跡地に建てられています。

本当に北海道には廃線跡を利用した施設が多いですね~
今年は時間の関係でパスしちゃいましたが、仁宇布のトロッコ王国もその代表格で、かつて日本一の赤字路線と言われた美幸線の廃線・廃駅跡利用でした。

受付とかだいぶ変わっていたな~。
ちなみに樺戸監獄(樺戸集治監)は1881年(明治14年)、網走監獄(網走囚徒外役所)は1890年(明治23年)に設置されたそうです。
どちらも明治政府が北海道の広大な原野を開拓し、同時にロシアからの北の脅威に備える防衛拠点(道路やインフラの建設)を作るための労働力として、全国の重罪犯や政治犯を収容する目的で建てられたって網走監獄の資料館で読んだな~。

そういえば、過去の網走監獄の画像を探していて見つけたのが、2016年の教誨堂です。

内部もしっかり撮影しておりました。

ここにのっぺらぼうが閉じ込められていて、土方歳三と、犬童四郎助典獄が戦った場所
当時シオリたちはゴールデンカムイを見ておらず余り思い入れはなくただの体育館くらいにしか思ってなかったろうな~

ちなみにあの白石のモデルの脱獄王白鳥を見つめる子供たちも幼かった・・・

ちょうど10年前の出来事で、10年後がこちら

大きくなったの~・・・リョータがいないのが不憫ですな。
次はいつになるかな~網走監獄・・・
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